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名古屋高等裁判所 昭和36年(う)70号 判決

控訴人 被告人 服部勇

弁護人 石原金二

検察官 荒井健吉

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人石原金三提出の控訴趣意書に記載するとおりであるから、ここにこれを引用する。

控訴趣意第一点、採証法則違反の主張について、

所論は、原判決は、被告人の司法警察員並びに検察官に対する各供述調書を有罪認定の証拠としているが、右各供述調書は供述の任意性に疑いがあり、証拠能力がない、というのである。

然し、原判決は、被告人の司法警察員に対する供述調書を証拠として引用していないのであるから、所論のうち右司法警察員に対する供述調書の証拠能力を攻撃する論旨は既にその前提を欠くもので理由のないことが明らかである。次に、被告人の検察官に対する供述調書の証拠能力について検討してみると、被告人は原審公判廷において、「警察と違つたことを言えば出して貰えないと思つた。(真実でないことを述べた)」と述べているが、それだからといつて、被告人の検察官に対する供述調書が任意性を欠くものと断じ去ることのできないことは勿論であるし、その他に被告人の右検察官に対する供述調書が任意性を欠くことについて具体的事実上の主張はなく、又記録を精査しても、その任意性を疑うに足りる事由を見出すことはできない。のみならず、被告人の検察官に対する供述調書は昭和三五年二月五日、同月九日の二回に亘つて作成されたものであるが、いずれも自白を内容とし、後者においては、前者の供述の記憶の不正確、不確実な点を訂正補充し、二月八日附司法警察員作成の実況見分調書に基いて事故当時の現場の状況を詳細に説明し、更に、右二月五日附供述調書中原判示第二事実についての被告人の動機について語つているところも充分首肯できるものと認められるのであり、所論の如く右二通の供述調書が任意性を欠き証拠能力のないものとは、とうてい認められない。論旨は結局理由がない。

同第二点事実誤認の主張について、

所論は原判示第二事実について、被告人には原判示の如く人の殺傷をひき起した事実について認識がなかつたものである、というのである。然し、道路交通取締法施行令六七条一項所定のいわゆる緊急救護義務の課せられるについては、同条が車馬の交通により事故を起した場合に操縦者等に対し被害者の救護及び道路における交通安全を図るため等の応急措置を講ずべき義務を課しているものであるところ、右前段の被害者の救護義務を課するについては、人の死傷の結果までを具体的に認識する必要はないものと解すべきである。蓋し、車馬を操縦する者が、その交通により該車馬を人に衝突させた如き場合にはそのことにより人の死傷の結果を招来することは吾人の経験に徴し通常の事態であり、そのような結果の発生しないことの方がむしろ稀有の事態と認められるわけである。そうだとすれば、車馬を人に衝突させた場合、その衝突の事実を認識(未必的認識を含む)している者が、更に、その衝突により人の死傷の結果を招来した事実まで認識しなければ、同条項所定の被害者に対する緊急救護義務が発生しないものと考えることはむしろ過ぎたるをもとめるものであろう。なるほど、法文においては、人の死傷の結果があつた場合として、人の死傷の結果に対する認識までを要求している如くであるが、それは同条項後段の直ちに救護の措置を講じなければならないとある字句に調子を合わせたものとも解し得られるのであり、右法文に死傷の結果があつた場合という文字が使われているからといつて、直ちにこれを、かの結果の発生とその結果の認識とを必要とする結果犯の場合とを同一視して考える必要はなく、前に説明した行為(車馬の人に対する衝突)の性質及び行為と結果(人の死傷の結果)の関係を考えれば、これをかの抽象的危殆犯め場合と同じく、行為の認識さえあれば、その結果の発生に対する認識までを必要とせず、すなわち車馬を操縦する者が、該車馬を人に衝突させたことの認識さえあれば、人の死傷の結果の認識の有無を問わず、従つてその結果の認識を必要とせず、その者に対し、直ちに操縦に係る車馬を停め、被害者に対する救護の措置を講ずべき義務が発生するものと解しても条文の構成上不合理なものといえないのは勿論、むしろそのように解することの方が、車馬の操縦者に対し緊急救護義務を認めた法の趣旨に合致するものと思われるのである。ところで、本件において、被告人の検察官に対する各供述調書、原審第四回公判調書中証人小野幸子の供述記載、同第三回公判調書中の証人高山弘の供述記載、司法警察員作成の昭和三五年二月八日附実況見分調書、司法巡査作成の領置証書、証第一ないし第三号の存在等を綜合すれば、被告人は原判示事故直前原判示高山弘他一名を約五〇米前方にぼんやりと認め、更に同人らの五米位背後に接近してその存在を明認し、衝突の危険を感じあわててハンドルを右に切つていること、然るに酩酊のためそのハンドル操作が思うに任せなかつたこと、その直後ガチンという自車のガラスの割れる音を聞き、かつ左側前照燈はガラスが割れて消えていること、被告人自身原判示事故後立ち寄つたバーパールの女給に自車が穴にはまつてガラスが割れたと述べていること、更に原判示事故現場に下水工事後の土砂は積み上げてあつたが、その高さは約三〇糎位で、附近に木柵、工事残木等の障害物はなかつたこと(原審第四回公判調書中証人沢田峰雄の供述記載参照)等の諸事情と被告人の前記検察官に対するこの事実に関する自白を綜合すれば、被告人としては、原判示第一の事故直後自己の操縦する自動車が自車の前方を歩行中の原判示高山弘に衝突させた事実を認識しながら、該事故が発覚した場合被告人としては無免許かつ酔つ払い運転をしていたため、重く処罰されることを恐れ、かつ当時附近に人通りはなく雪のある暗い夜であつたので他人に発見されるおそれはないものと考え、直ちに停車することなく、そのまま運転を継続し、被害者に対する救護義務をつくさず現場を逃走した事実を認定できるのである。被告人が当時かなり飲酒酩酊しており、かつ事故直後現場から三〇〇米東方のバーパールに赴き自動車を停め飲酒している事実は認められるが、右の事実を以つてしても未だ前記認定を覆すに足りない。記録を精査してみても、この点に関する原審の事実認定に誤認を疑うべきかどは認められない。論旨は理由がない。

同第三点量刑不当の主張について、

所論に鑑み、本件記録並びに原裁判所が取り調べたすべての証拠を検討してみるのに、被告人の本件過失の態様、しかもそれは無免許運転中の事故であり、しかも自己の平素の酒量をこえかなり飲酒酩酊し自動車の運転にも支障を来す状況にありながら、敢て原判示の無謀操縦をしていること、事故現場附近の状況は原判示のとおり当時下水土木工事施行中で自動車の運転には極めて困難を感ずる状態であつたのに、かかる地形を弁えず敢て無謀な操縦をしていること、事故直後前示のような動機からいわゆる轢き逃げをしていること、その他諸般の情状を勘案すれば、所論の事情を参酌してみても原判決の科刑が重きに過ぎ不当なものであるとは認められない。論旨は理由がない。

よつて、刑訴法三九六条に則り本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 影山正雄 裁判官 谷口正孝 裁判官 中谷直久)

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